「地域」でつなげよう!仲間に伝えよう!

 

多くの人に同時に伝える「テレフォン」は、特定の「地域」で使われるようになった。最も知られているのが、1893年からハンガリーのブタペストで行われていた「テレフォン・ヒルモンド」である。「テレフォン・ヒルモンド」は、中央交換局から「ことば」や「音楽」が伝えられるサービスで、昼間は、国内外の「ニュース」、夕方からは、演劇公演、音楽のコンサート、作家による自作の朗読などを、加入している利用者に聞かせていた。利用者は、ブタペストの政治家や経済人、文化人、ホテル、病院、カフェなどのお店であった。

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「テレフォン・ヒルモンド」 6200人の加入者に「ニュース」を伝える(「電話新聞」と紹介する1901年の記事より)

 

いくつかの地域で、多くの人が同時にきくことができる「テレフォン」が始められたが、パリやニューヨークのような大きな都市における富裕層向けのサービスとして成り立っていた。利用者が増えていくと、電話回線の設備を拡張していかなくてはならず、維持していくのが大変になったともいわれている。

多くの人が同時にきく「テレフォン」は、通話のための回線網において特定の利用者に向けて行うことはできても、専用の電話回線による独立した事業にするのは難しかったようである。たとえば、ニューヨークでは、サディウス・ケイヒルという人が「テルハーモニウム」という巨大な電気楽器からの「音楽」をきかせる「テレフォン」の事業をやろうとしていたが、電話回線でのトラブルもあって、電話会社による回線の設置が進まなかったといわれている。

「通話」のための電話回線網には、「独占」的なものと「独立」系のものがあり、お互いにせめぎ合ったり、共存したりしてきたという歴史がある。アメリカでは、全国的な一つの「独占」的な回線網だけでなく、地域の「独立」系の回線網もたくさんあった。ベルの発明の特許による電話会社AT&Tは「長距離回線」によってその「独占」を維持しようとした。地域の「独立」系の電話会社が長距離回線に接続するには、AT&Tのグループに入ることが交換条件となった。そのようにして、全国的な回線網では、「テレフォン」の使い方が「標準化」されていったのである。地域の人々が同時に聞く「テレフォン」は、一部の人々に向けて成り立っており、何を伝えるのかについても、その地域性に基づいていた。しかし、独占的な回線網が築かれていく過程においては、地域性や独自性のある「テレフォン」の可能性は見過ごされていたのである。

日本でも、「通話」のための電話回線網が普及していなかった地域では、独自の「有線電話」の回線網が築かれていることがあった。そのような地域では、その「有線電話」によって、ラジオ放送の音声を聴くことができるようにしたり、地域の情報を多くの人に同時に伝えたりしていた。つまり、地域で独自に使われている「電話」があって、ラジオ放送をきくように電話機が使われていたのだ。

 

無線の「テレフォン」も、電波が届く範囲に入っていれば「電話回線」を使わずに「ことば」や「音楽」が伝えられるという意味では、その地域の独立した「テレフォン」になる可能性があった。それは、全国的な回線網を独占していた電話会社を脅かす「テレフォン」の使い方だった。独占的な回線網を持つ電話会社のAT&Tでは、有線も無線も同じ「テレフォン」であるという考え方をもとにして、加入者になると全国の多くの人に同時に伝えることができるという「テレフォン」の可能性が考えられていた。

のちに、全国的なネットワークによって伝えられることが「放送」であるかのようになるが、それまでは「地域」に根ざした使い方から「放送」のような可能性が考えられていたのである。