みんなと「おしゃべり」したい!

 

「ラジオ」といえば、「ことば」や「音楽」がきこえてくる箱のようなものというイメージがあるかもしれない。それは、家電製品や携帯機器として使われているラジオ放送の受信機のことで、どこかから「おしゃべり」をしてくる機械のようにも見える。

「おしゃべり」をしてくる機械は、「ラジオ」のほかにもある。身の回りにある「おしゃべり」をしてくる機械を探してみよう。たとえば、「テレビ」や「動画」を見るための機器があるだろう。それらは、毎日、自分に向かって「おしゃべり」をしてくれる。「ふんいき」をにぎやかにして、わたしたちの興味を引いたり、さびしさを和らげてくれたりする。もし、「テレビ」や「動画」を見ているとき、音がきこえなくなったらどうなるだろう。映像があるとしても、「おしゃべり」や「音楽」がきこえないとしたら、とりあえずつけたくなったり、つけっぱなしにしたり、見続けたりするだろうか。

 

 

 

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「おしゃべり」をしてくるような箱 ラジオ放送の受信機(1930年代)

 

ラジオからの「おしゃべり」をきくためには、放送局からの「電波」を受信する必要がある。今から百年くらい前に「ラジオ放送」が始められたとき、電波を特定の方向に強める「指向性(しこうせい)」の技術はなく、ラジオ放送の電波は送信する地点を中心にして放射状に広がっていった。「ラジオ」には「放射する」という意味があり、「放送」には「ばらまく」という意味がある。ラジオ放送の電波を送信する側では、どこで受信されているかを同時に確認することはできず、誰がきいているのかはわからない。一方、電波を受信する側では、その電波が届く範囲に入っていれば、どこかからともなく音声がきこえてくる。目に見えない電波によって聞こえてくる音声は、まるで天の空から「ことば」や「音楽」が降ってくるかのようにも思える。

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「ラジオ東京(現TBS)」が開局したときの広告(1951年)

 

「ラジオ放送」を、送り手と受け手の間で「情報」を伝達する技術として考えると、電波で「放送」する伝え方は「ことば」や「音楽」を伝える「テレフォン」の一種であるが、一対一の「通話」の使い方とは異なり、ラジオ放送の受信機ではきくことしかできないようになっている。ラジオやテレビに向かって、思わず叫んでしまったり笑ってしまったりすることがあるだろうが、それは「向こう側」には伝わらないようだ。

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ラジオ放送で情報を伝える 湖の周辺の災害情報を伝えるラジオ放送局(アメリカ、1940年)

 

ラジオ放送の番組で「おしゃべり」をしている人になったつもりで、ラジオやテレビの「向こう側」を想像してみよう。ラジオ放送で「ことば」や「音楽」を伝えようとする。これは、よく考えてみると、少し不思議なことをしている。なにしろ、相手は見えないのに、「みなさん、こんにちは」と語りかけるのだから。今、伝えている「ことば」や「音楽」をきいている人がいると思えなければ、見えない相手に対して「声」で語りかけるなんてことはしないはずだ。

「ラジオ放送」は、技術的には、電波を使って一方的にばらまいて伝えているかのようだが、「見えない相手」に語りかけたり、語りかけられている方もハガキやメールを送ったりして、実際には、双方向(そうほうこう)のやり取りをしている。お互いに、何らかの「相手」や「仲間」がいることを想像することによって、声を伝える「放送」のコミュニケーションが成り立っているのだ。

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ラジオ放送局のスタジオ(調整室のスタッフ)

 

ラジオ放送を通じて「おしゃべり」をするときは、誰がきいているかわからないし、知っている人だけにきいてもらうなんてことはできない。実際に誰かと話をしているときに、もし見えないところで誰かにきかれているとしたら気分は良くないかもしれないが、ラジオの声は、見えない仲間がいることを想定して、見知らぬ人々にも語りかける。だからこそ、ラジオではどんな出会いが生まれるのかわからない。

「声」がきこえてくるから、私たちは「放送」の受信機のスイッチを入れる。多くの人が、放送の受信機である「ラジオ」や「テレビ」を身の回りに置いている。しかし、それは、放送局からの電波を受信しているだけのことではなく、電波を送信すれば多くの人が受信機を使うようになるというわけでもない。わたしたちは、「放送」に見えない何かを求めているから伝えたりきいたりしているのである。ラジオの放送には、「見えない相手」に語りかける声があり、その声を同時にきく人々がいて、見えない空の劇場のような世界がある。声で語りかける先に「リスナー」がいるとき、いろんな出会いを通じて、その声をきいている「コミュニティ」が現実の社会でも生まれていく。そのようなコミュニケーションがあることによって、多くの人に同時に伝える「放送」が成り立っているのだ。