ラジオをきくとき リスナーの「コミュニティ」

 

第一次世界大戦後のアメリカで始まった「ラジオ放送」は、わずか数年の間に、アマチュア無線通信を趣味とする人々だけでなく、一般の人々の間でもブームとなった。それによって、「番組」の時間を楽しみにするという、人々の生活における変化があった。

1920年代に各国で始められた「ラジオ放送」にも「定時放送」が取り入れられた。日本では、1925年に「ラジオ放送」が始まったといわれているが、これは、東京、大阪、名古屋の放送局によって「定時放送」が始められたときのことを指している。この定時放送が、のちの日本放送協会(NHK)となる。つまり、ラジオ放送の番組をきく「ラジオの時間」の始まりである。

「番組(プログラム)」は、劇場の演目からきている言葉で、「定時放送」においては、ある時間帯に音声で放送される内容のことになる。番組が始まる時間になると「ラジオ」から音声が流れてくる。いま「何を話しているのか」や「何が起きているのか」がきこえてくる。遠くからの中継は、初めてのときや珍しい出来事のときの場合は、ラジオの「実験」のように、離れた場所からきこえてくることに驚きを感じるが、定時放送の番組が繰り返されていくと、その音声をきくことによって起きるのは、それが人々の生活のひとときになったり、身近な人間関係ができたりするということである。家にいながらにして「ニュース」をきいている人々に対して、番組からの声は、毎日の決まった時間に「みなさん」と呼びかける。「演説」や「速報」のような特別の報道番組は、「ラジオ放送」の始まりから繰り返されているが、今日でも、多くの人が「同時にきく時間」になっている。

 

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家族が集まるリビングルームには、ラジオ、レコードプレーヤー、テレビもいっしょになったものが置かれるようになっていく(アメリカ、1949年)

 

ラジオ放送によって、劇場の公演やスポーツの試合のような、都市に行かなければ触れることができなかった「娯楽」が、毎日のようにきこえてくるようになった。家にいながらにして楽しめる「娯楽」は、「家族」とともに過ごすことができる時間として考えられるようになった。決まった時間に始まる「娯楽」の番組は、家族のあり方や人々の生活習慣の変化と関わりながら、ある特定の「見えない人々」の時間の過ごし方を提供している。

ラジオ放送の番組では、その進行も、音声によってひとまとまりの芝居のような時間になっている。たとえば、スポーツの「実況」は、いま起きていることが伝わる音声に加えて、その経過や、その他の情報や、演出的な表現も入ることで、番組の始まりから終わりまでの流れをきかせる。その劇的な流れのある「臨場感」は、現地での体験とは異なるもので、番組の始まりから終わりまでの物語をきかないと味わうことができない。日本では、1932年ロサンゼルスオリンピックの「実感放送」や、松内則三アナウンサーによる「早慶戦」などのように、架空の「実況」による擬似的な再現をきくことも楽しまれてきた。その話芸のような「実況」は、その後のスポーツに関する番組において、むしろ「生々しさ」を感じさせるために欠かせないものになっている。

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若者は「自分の部屋」でラジオをきくようになった(アメリカ、1943年)

 

ラジオ放送は、無線による「テレフォン」の公開実験のときから、人々に「音楽」をきかせてきた。音楽番組では、音楽を紹介する「パーソナリティ」や「ディスク・ジョッキー」のような人が知られるようになって、見えない人間同士の関係を生み出していった。音楽番組を聴いている「リスナー」たちは、音楽を紹介する「ディスク・ジョッキー」に放送してほしい曲をリクエストして、他のリスナーにもきかせようとした。あまり知られていない地方の音楽や、白人が黒人の音楽を楽しむ「ロックンロール」のように、番組の音楽をきくことを通じて、人々の集団や人間関係が変わり、言語や人種などのような文化的な壁を越えていくことも起きた。

ただし、番組の作り方によっては、「放送」は、とても大きな社会的問題を生じさせることになった。もし、「リスナー」とやりとりする番組が全くない放送局があれば、放送される「声」が語りかける「リスナー」は、送信する側によって想定される人々でしかないことになってしまう。

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緊急のニュース番組のような劇をラジオ放送でやった名優オーソン・ウェルズ 本当に「火星人が来た」という騒ぎまで起きたといわれている(アメリカ、1938年)

 

放送の歴史において、その変化を生み出してきたのは、「番組」の考え方であり、見えないところにいる「リスナー」たちの反応なのである。歴史的には、ラジオ放送は、「テレフォン」や「電波」があればできるようなことではなく、人々の考え方によって生まれたのであって、番組のリスナーがいなければ、成り立たなかったものである。番組のリスナーが増えたり変化したりすることによって、放送の使い方が具体的になり、見えない人間同士の関係が形成されていくのである。番組には、放送という「テレフォン」の使い方を変えていく可能性があると同時に、人々の生活の変化に関わる責任がある。

日本では、阪神・淡路大震災、東日本大震災などで、声を伝える「ラジオ」の役割があらためて見直されるようになった。1992年に制度化された、日本の「コミュニティFM」は、ひとつの市町村くらいの範囲できくことができるラジオ放送局であるが、もし、災害があったときには、その地域の状況に合った情報をすぐに伝えていくことが考えられている。つまり、全国的な放送ではできないような、その地域の人々による、その地域のための放送の可能性が考えられているのだ。自分の住んでいる地域のことなら、地域の人々のための情報を提供したり、伝えたりすることができるのではないだろうか。

地域の放送局があれば、地域の人々に向けた番組で、「声」を伝えることに参加することができる。かつての「電話」をつないだ交換手たちのように、かつての無線通信で「放送」をやり始めたアマチュアの人々のように、身の回りにある「ラジオ」を、自分の声で鳴らしてみたらどうなるだろうか。

自分の声を「ラジオ」で伝えたら、いろんな出会いがあるだろう。誰に何を聞けば、地域のどんなことがわかるのか、だんだんと見えてくるに違いない。自分の声によって知らない誰かを助けることができるかもしれない。知り合いの仲間と話すだけではなく、地域の人々にも語りかけることができる。いざというとき、どんな人でも地域の放送局を立ち上げるのに関わる可能性がある。それが、今の「ラジオ」なのだ。