空からきこえてくるぞ! 線のいらない「テレフォン」

 

豪華客船「タイタニック号」が沈没した事故は、1912年4月14日深夜、大西洋で起きた。このときに、「電波」でモールス符号を伝える「無線」の電信(無線通信)によって、海で起きた事故についての情報が伝えられて、新聞で大きく取り上げられた。

「電波」で情報を伝える無線通信は、船舶で実用化されていた。海の上を移動する船では、電線をつなぐことはできないからだ。「タイタニック」号から無線で発せられた信号を受信して、近くの船へ連絡し、生存者の情報を伝えたといわれているデイヴィッド・サーノフは、のちの「ラジオ」の誕生に大きな貢献をした人だ。

しかし、電波を利用した無線通信は、「ことば」や「音楽」を伝える「テレフォン」にはなりにくかった。アメリカの電話会社のAT&Tでは、線をつなぐ「有線」と同じように無線通信も「テレフォン」として使うことが考えられていたが、大西洋の国際的な船舶の無線通信を事業にしていたマルコーニ社は、無線通信を「テレフォン」にすることはなかった。

無線通信は、電波が届く範囲に入っていれば受信できる。そのため、「タイタニック」号からの信号を受信した人がいたように、誰が受信するかわからないという特徴があった。もし、軍隊のように、秘密の情報を伝えたいときがあれば、むしろ「ことば」がきこえるようにするのは好ましくない。第一次世界大戦で、移動する船や飛行機のために無線の通信が使われるようになるが、無線で「ことば」を伝えることは避けられていた。

無線通信で声を伝えることが避けられていたもう一つの理由として、知り合いでもない誰かの「声」をきくということが、当時の人々にとって、どのように考えられていたかということがある。どこからともなく「声」がきこえてくるのを、どのように感じるか。テレフォンやラジオがなかった時代、見知らぬ人と話をすることは、普段の生活においてほとんどなかったのである。

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『無線と実験』創刊号(1924年5月)

 

その一方で、「科学」の関心から、無線で「ことば」や「音楽」を伝えようとした人々がいた。無線の「テレフォン」を世界ではじめて成功させたのは、カナダのレジナルド・フェッセンデンという発明家で、1906年のクリスマス・イブのときに自分の朗読や歌を無線で大西洋に向けて送信した。彼が送信した「音声」を受信できたのは、船の無線通信士たちだった。突然、「ことば」や「音楽」がきこえてきたので驚いたという。このとき、フェッセンデンは、受信したら手紙をくださいと呼びかけた。実験が成功したかを確かめるためである。そのときだけの実験としてやっているので、事前の告知を知っていなければ、いつきこえてくるかはわからず、きくことができるのは無線通信が受信できる人々に限られていた。

アメリカの発明家、リー・ド・フォレストも、1908年にパリのエッフェル塔からレコードの音楽を無線で送信したことで知られている。彼が、船からヨットレースの速報を音声で伝えたときには、「無線」という言葉を「ラジオ」と言い換えていた。音楽が好きだったド・フォレストは、音楽をききたがっている人々がたくさんいるに違いないと考えていた。

このような「発明家」たちによる無線の「テレフォン」は、「ラジオ」の始まりとして紹介されることもあるが、発明家にとって、「ことば」や「音楽」を伝えることは、人々の注目を集められる科学的な実験であり、新しい事業にするための話題作りでもある。「ことば」や「音楽」を伝える「テレフォン」の魅力は、科学的な研究開発の成果をわかりやすく伝えるために利用されることがある。今でもロボットがおしゃべりするようなときには、同じようなことが起きるだろう。どんな技術によるものでも、「ことば」や「音楽」が伝わるのを実演して見せるのは、科学的な成果を人々に伝えるための魅力的な「娯楽」なのである。

無線通信は、天空を伝わっていく「電波」に対する科学的な関心をかきたてていた。フェッセンデンやド・フォレストによる実験が当時の新聞や科学雑誌などで知られると、科学が好きな人々の間では、無線通信は「テレフォン」として考えられるようになった。アマチュア向けの無線通信機器を製造する企業が生まれ、のちに「ラジオ」を始めていくことになるアマチュアの無線通信の愛好家が増えていった。

日本でも、新聞社が無線で「ことば」や「音楽」を伝えて、博覧会や百貨店などの場所で人々にきかせていた。『無線電話』や『無線と実験』などの雑誌が創刊され、無線通信の愛好家が増えていた。ときはすでに大正時代、1920代に入っていた。アメリカでは「ラジオ放送」のブームが起きていた時期であり、博覧会や百貨店で一般の人々にきかせていたことからすれば、娯楽的な「ラジオ」の始まりといえなくもないが、無線通信の愛好家たちにとっては、「科学」と「娯楽」が混じり合った、無線の「テレフォン」の公開実験であった。

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ラジオを組み立てている「ラジオ少年」(『コドモノクニ』1928年7月号より)